【明日から】山の手事情社 アトリエ公開
2014年 05月 24日
縁のある劇団が自前のスタジオを持ち、オープニングイベントを開催するのが相次いでいる。
山の手事情社もそのひとつ。
山の手は「舞台でしかやれないことを」を合言葉に劇団結成から30年もの間に数々のスタイルの変遷を経た。この10数年は四畳半と名付けた独自の演技様式とルパムと名付けた独自のフォーメーションダンスにこだわって作品を発表し続けている。
今年紀伊国屋演劇賞を授賞した池田成志さん、世界のあちこちで巻き込み型演劇ライブが評判を呼ぶ清水宏さん、TBSや映画で優しい眼差しのドラマをつくる土井裕泰さん(「愛してると言ってくれ」などを演出)など多彩な才能を輩出している(僕もその一人だと言っておこう)。
トップランナーたちだけでなく、若い芽も出ている。近年若手演出家のコンテストで入選している開幕ペナントレースや世田谷シルク、仙台で活発に活動している仙台シアターラボといった若いカンパニーの演出家たちも、ここの出身だ。
僕はこの劇団で演劇を始め、いろんな経験をし、昨年末に晴れて独立した。恩があり、ルーツがある場。
その劇団が昨年度に移転し使い始めた大田区池上のアトリエを、
明けて本日24(土)から28(水)まで公開する。
暮れに挨拶を兼ねて忘年会にお邪魔したが、居心地のよいスタジオで酒も話も進み、うっかり長居してしまった。
今回はスタジオの公開プラス、30年の歴史にまつわる展示。
日によっては稽古公開も行なう様子。
演劇に関心のある人は社会科見学のつもりで足を運んでみてもいいかもしれない。
演劇集団にとって自前の稽古場を持つことはとてもめでたいことだ。したいときにしたいだけ稽古ができるし、制作と創作現場・劇団本隊と育成部隊がひとつ屋根の下で同じ熱を共有できるし、ほかにも数多くのメリットがある。
一方で四六時中稽古場に入り浸り、外の空気を浴びなくなる危険もあるように思ったりする。
風通しの悪さが自家中毒を招くと、自分たちだけが素晴らしいことをしているような思い込みや、自分たちの表現の見直しをしなくていいような錯覚をしやすい環境になってしまう。
「常にいられる場所」が「常にそこにしかいられない場所」にならないよう、工夫をし続ける必要があるのだろう。
「自分のアンテナ」が「自分に都合にいいアンテナ」になったら付け替えなくてはならない。そうなっていないか定期的に監視し検証しなくてはならない。
そしてそれは自分(自分たち)だけで健全に行ない続けるのはとても大変なことだと、人生の大半をひとつの劇団にいた経験上思う。
集団が硬直化し孤立するのを防ぐには、地続きでいろいろなものと繋がっている必要がある。
劇団と社会、劇団と他の優れたアートを繋ぎやすくするのは、かつて一時でも劇団に関わり、いまは違うフィールドで生きている、たくさんの元劇団員や元スタッフ・元観客や元受講生たちなのではないかという気がしている。
あなたたちから見て、この劇団は健康的ですか? 素敵ですか?
上に挙げた人たちに、この機会をきっかけにしてスタジオに足を運び目をやりながら、ぜひ劇団を孤立させない架け橋をかけてほしいと思ったりする(劇場に足を運べという意味とは違う。極端な話でもなく、公演は見なくても想いを馳せることのほうがずっといいかもしれないと思っている)。
さらっと書くつもりが長くなってしまった。
故郷に戻りたいと思うことがあるわけではないが、思いはあれこれ募る。
向こうからしてみれば立派に活動しているのだから、余計なことだろう。
ともあれ、週末週明け、お時間あれば山の手事情社へ!
全日11:00~17:00、予約不要、出入自由、もちろん無料です。
https://www.facebook.com/yamanotejijosha
下の写真はシェイクスピアの復讐劇「タイタス・アンドロニカス」をルーマニアのシビウ演劇祭で演じた後に皆で撮った写真。5年前。
ラヴィニア役の大久保さんが何人かが「間違ったCATS」みたいになっている。 ※5/24訂正 このときのラヴィニアは山口笑美さんでした。そうでした。
山の手事情社もそのひとつ。
山の手は「舞台でしかやれないことを」を合言葉に劇団結成から30年もの間に数々のスタイルの変遷を経た。この10数年は四畳半と名付けた独自の演技様式とルパムと名付けた独自のフォーメーションダンスにこだわって作品を発表し続けている。
今年紀伊国屋演劇賞を授賞した池田成志さん、世界のあちこちで巻き込み型演劇ライブが評判を呼ぶ清水宏さん、TBSや映画で優しい眼差しのドラマをつくる土井裕泰さん(「愛してると言ってくれ」などを演出)など多彩な才能を輩出している(僕もその一人だと言っておこう)。
トップランナーたちだけでなく、若い芽も出ている。近年若手演出家のコンテストで入選している開幕ペナントレースや世田谷シルク、仙台で活発に活動している仙台シアターラボといった若いカンパニーの演出家たちも、ここの出身だ。
僕はこの劇団で演劇を始め、いろんな経験をし、昨年末に晴れて独立した。恩があり、ルーツがある場。
その劇団が昨年度に移転し使い始めた大田区池上のアトリエを、
明けて本日24(土)から28(水)まで公開する。
暮れに挨拶を兼ねて忘年会にお邪魔したが、居心地のよいスタジオで酒も話も進み、うっかり長居してしまった。
今回はスタジオの公開プラス、30年の歴史にまつわる展示。
日によっては稽古公開も行なう様子。
演劇に関心のある人は社会科見学のつもりで足を運んでみてもいいかもしれない。
演劇集団にとって自前の稽古場を持つことはとてもめでたいことだ。したいときにしたいだけ稽古ができるし、制作と創作現場・劇団本隊と育成部隊がひとつ屋根の下で同じ熱を共有できるし、ほかにも数多くのメリットがある。
一方で四六時中稽古場に入り浸り、外の空気を浴びなくなる危険もあるように思ったりする。
風通しの悪さが自家中毒を招くと、自分たちだけが素晴らしいことをしているような思い込みや、自分たちの表現の見直しをしなくていいような錯覚をしやすい環境になってしまう。
「常にいられる場所」が「常にそこにしかいられない場所」にならないよう、工夫をし続ける必要があるのだろう。
「自分のアンテナ」が「自分に都合にいいアンテナ」になったら付け替えなくてはならない。そうなっていないか定期的に監視し検証しなくてはならない。
そしてそれは自分(自分たち)だけで健全に行ない続けるのはとても大変なことだと、人生の大半をひとつの劇団にいた経験上思う。
集団が硬直化し孤立するのを防ぐには、地続きでいろいろなものと繋がっている必要がある。
劇団と社会、劇団と他の優れたアートを繋ぎやすくするのは、かつて一時でも劇団に関わり、いまは違うフィールドで生きている、たくさんの元劇団員や元スタッフ・元観客や元受講生たちなのではないかという気がしている。
あなたたちから見て、この劇団は健康的ですか? 素敵ですか?
上に挙げた人たちに、この機会をきっかけにしてスタジオに足を運び目をやりながら、ぜひ劇団を孤立させない架け橋をかけてほしいと思ったりする(劇場に足を運べという意味とは違う。極端な話でもなく、公演は見なくても想いを馳せることのほうがずっといいかもしれないと思っている)。
さらっと書くつもりが長くなってしまった。
故郷に戻りたいと思うことがあるわけではないが、思いはあれこれ募る。
向こうからしてみれば立派に活動しているのだから、余計なことだろう。
ともあれ、週末週明け、お時間あれば山の手事情社へ!
全日11:00~17:00、予約不要、出入自由、もちろん無料です。
https://www.facebook.com/yamanotejijosha
下の写真はシェイクスピアの復讐劇「タイタス・アンドロニカス」をルーマニアのシビウ演劇祭で演じた後に皆で撮った写真。5年前。
by blancbecbbkyamada
| 2014-05-24 01:48